知識と情報の付加価値

知識と情報の付加価値は2つあると思う。

学問の大衆化(大学全入時代)と情報革命が成功した事の裏返しとして、
知識をもっている、情報をもっている、という権威が消滅した、そうだ。

しかし、知識をもっているという事が、すごいことなんだ、
と、輝ける瞬間がある。

以下、その2点について簡単に思ったことをまとめてみた。

1点目 すぐに答えられること。

尋ねられた時、そのときその場所で、
すぐに知識を情報として提供できることである。

これは、すごい、って思うよね。
この人なんでも知ってるな、すげーーっと。

2点目 情報の有機的なつながり

話が面白い(機知的ではなく、知的に)、という人は、きっと自分が話す事の凄さ、面白さを分かっている人なんだと思う。
簡単に言えば、背景知識が豊富な人。知識を有機的につなげて理解している人。

つまり、知識を単に情報としてだけではなく、
その情報がどのような文脈に当てはまり、
どのような価値(インパクト)があり、
どのようなことが演繹できるのか、ということが分かっている人。

他の知識との関係性を分かっている人。価値を分かっている人。

そんな人に、
「これはすごいぜ!なぜかって?それは、・・・だから!」
とかって言われたら、情報だけで知らされるよりも、きっとその情報が面白いものになる。
付加価値だ。

知識単体は、インターネットに散らばっている。
しかしその有機的なつながりは自分でしか構築できない。
(他の人のつくった知識の有機的なつながりは、自分の知識をビルドするためのヒントにしかならない)

なんか、話の構成が、下手だな。
知識と情報ということばの定義が曖昧すぎる。。。
あとで編集しよ。