ブログをはじめた理由

もんもんとしているのだ。

なぜ覚えたことを忘れてしまうのか。
なぜ必要なときに出てこないのか。

折角本を読んで分かったことや、行動を起こして感じたことをすぐに忘れてしまう。
これってアリ?
というほど、悲しくなる。

なぜ忘れてしまうのかを考えたとき、やはりそれはアウトプットをしていないからなんだと、
今は結論づけた。だからブログでアウトプットしようとしたのだ。
(でも、アウトプットしても忘れてしまうものは忘れてしまうのかな)

あと、もう一点。
思ったことや感じたことや学んだことを分類したいと思ったから。
とめどなく出てくる思ったことや感じたことや学んだこと、というのは、
それぞれが単独に存在するのではなく、きっと何か体系化できるもの、
分類できるものなんだと思う。
そうすることによって、自分が感じたことを血肉にすることができるのではないかと思ったのだ。
ブログでは、それが効率的にできると思っている。
その理由は、”タグ”だ。
(今更なことだが)
ものごとは、AかBかに分類できるものばかりではなく、AでもBでもある、というものがある。
というか、そのことの方が多い。
つまり、AかBかどちらかだけに属するものは少ない、ということ。
これは、木構造指向のカテゴライズ的な方法では表現できないことであると思う。
それを表現できるのは、もしかして”タグ”なのではないかと思っているのである。
だから、ブログを使って、自分の考えを体系化(ここは木構造的に??)していきたいと思っているのだ。

そうすることによって、思ったことや感じたことや学んだことを、いつまでも忘れずに、
自分の血肉にすることができるのではないかな、と思うのである。

このブログを用いて、自分の考えを整理していきたいと思う。

だから、というわけでもないが、新規エントリよりも、既存エントリの編集、というアウトプットの方が多くなるかもしれない。
(純粋にブログとして使うよりも、パーソナルなwikiとして使うイメージです)

とりあえずは、やってみよう。と思っている。

あと、自分の中に今大きな問題意識が転がっている。
上で書いたことと関係しているが、
それは、「情報の整理」だ。
どのようにすれば、情報を整理することができるのか。
これからの時代は、個人が溜め込んだ情報を、情報技術を用いて活用する時代が来るのではないか、と思っている。が、その前に必要なことが、情報の整理であろう。
データベースとして、どのようなデザインにするのか。
集合知により触発された個人の知のデータの、データベースの設計である。
このブログを書く中で、少しでも答えを見出せていけたらいいな、と思っている。
(もう既に時代遅れ?かつ、お粗末な時代認識ですみません)