問いの背景
またまた「はじめて考えるときのように」
![はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫) はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41ERN00KY1L._SL160_.jpg)
はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
- 作者: 野矢茂樹,植田真
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2004/08/02
- メディア: 文庫
- 購入: 16人 クリック: 70回
- この商品を含むブログ (71件) を見る
同じ言葉で表現されていても、その背景に何があるかによって問いの意味は変わってくる。
(はじめて考えるときのように p69)
逆に言えば、何の背景もなしに、ただ疑問文を作ってみても、それはぜんぜん問題になっていないということだ。
ぼんやりと「なぜ空は青いんだろう」とつぶやいても、それが実は興味深いほんものの問題だということを知るには、その人は多くのことを背景にもっていなければならない。
(はじめて考えるときのように p70)
同じ疑問文でも、その人が何をきっかけにしてその問いを抱いたのかによって、その価値は変わる。
言うなれば、「なぜその疑問を思ったのかを明快に説明できるかどうか」で、その問いの価値が分かるのだと思う。
一見、ありきたりのような問いに思えても、その人がバックボーンに抱えている知識から出た問いならば、それは深い問いになるのだと思う。
【補足】
では、子供が投げかける素朴な疑問に、価値はないのか。
初学者が発する素朴に思う疑問に、価値はないのか。
多分子供や初学者は、なぜそのことに疑問に思ったのかを説明することはできないのではないかと思う。
でも、きっとその疑問に価値はあると思う。
だって、よく子供や初学者から、本質を突くような質問をされた、という専門家の話を聞くではないか(ソースが見つかれば載せます)。
あ、でもこれは、その問いを受け取った専門家がハッとして、「その質問は本質的!」とか言うってことは、
初学者の背景のない質問に、専門家のバックボーンが合わさって、いい問いを形づくっているからなのかもしれない。