複雑な生物の単純な指向

人間はものごとを単純に考えることが好きだ。

なんでもかんでも、結論はすっきりとまとめられるものだと考えている。
ステレオタイプな構造が好きなのだ。

例えば、善と悪の明白な対立構造が好きだ。

多面的な事象というのは、類型化が難しく、そのままではどうしても複雑な構造・非対称な構造になってしまう。
その為、捉えにくく、理解しにくく、覚えにくい、という風に感じてしまうのだ。
そのため、勝手な二元論で理解しようとする。

ものごとを白か黒かに分けた方が、例外や注釈がない方が、理解しやすく親しみを感じるのだ。
また、そうでないと、まだ純化されていない、発展途上で未熟なものだと感じてしまう。

人間の脳は、とても複雑なのに、なぜその脳は単純なことを好むのだろうか。
なぜ多義的であるものよりも、一義的であるものを好むのか。
なぜ複雑なことを複雑なまま、
直感視することができないのか、オートマトン化することができないのか。

詭弁ですね!夜更けなので、書き殴ってしまった。

【補足1】

ファインマンのスタイルは、問題に対して、可能な限り単純で基本的な解法を探るというものでした。
物事を簡潔に説明できないなら、「自分はまだそれを理解していないのだ」と信じていました。
(TED レナード・サスキンド:友人リチャード・ファインマン)

ただ、数学や物理に代表される科学が求めているところの単純さとは、違うよね。
シンプルであることは美しいとか、正しいとか、そういうこととエントリ本文の話とは…。

【補足2】

「一流の技術者は難しい物事の本質を簡単に説明する。二流の技術者は、難しいことは難しく、簡単なことは簡単に説明する。そして、三流の技術者は簡単なことも難しく説明する。」 出典は不明だが、共感する言葉である。
(中略)
なお、最後に蛇足だが、「簡単なことを、いかにも難しいこのとのように、簡単に説明する。」というのが、サラリーマン処世術の理想かもしれない!?
(IT Express 誰でもわかるICT > 難しいことを簡単に説明する)

いかなるものでも簡潔に表現できないか考える、という作業はすごく創造的なことだと思うんだけど、この営みもエントリ本文でいった単純さとはちと違う。ような気がする。